ラーメン屋の卓上、酢と和解した。変わらないものを受け入れることで変わっていく。少しずつ。

 25歳くらいのとき、ある日の会社の帰り、先輩に「青葉」に連れて行ってもらった。今のバルト9の上ではなく、もう閉店したが新宿御苑駅の近くにあった支店だ。はじめて全国チェーン展開ではないラーメンを食べた感想は「なんとなく、うまい」というぼんやりしたものだったが、この「なんとなく」が、今にも続く僕のラーメン食べ歩き趣味のはじまりだったような気もする。

 

 今だったらWスープがどうのとか、製麺所がどうのとか、余計な薀蓄をラーメンおたくだから考えちゃうんだろうけど、本当は「おいしい」の理由なんて「なんとなく」でいいと思う。このなんとなくってのは、きっと人生で結構、大事だ。人生には考えなきゃいけないストレスなんて山ほどあるし、友達や、恋人や、食べ物や、趣味にまつわる「好き」なんか全部「なんとなく」でいいと思う。

 逆に理由が必要になる「好き」なら、きっと違うんだよ。

 歳を追うにつれ、考え方がシンプルになっていくっていうけど、僕にとっては、これもそのひとつ。

 

 だけど実は、ここずっとラーメンを食べて続けてきて、関東圏内で有名店とか、たまに地方に遠征とかしてきて、別にブログもツイッターもやってないけど「味のトレンド」とかも追っかけ続けて(なんかもう、この趣味、一周してきたよなぁ)って最近まで、ちょっと思っていた。極めたっていうには、まだまだ上(もっと食べてる人だちとか、行ってない店とか)もいるし、飽きたっていうには、まだ食べたりしてるんだけど「今のこれって好きだから食ぺてんのか、長年の惰性なのか、よくわかんねえな」っていうね。それに食べてる分、新しい店にいっても「○○に似てるよな」とか、ひねくれた感想を持つようになったりして。

 

 それが微妙に変わってきたのは、ここ1年以内のこと。

 まず二郎系のラーメンが食べられなくなった。正確に言うと、うまいとは思うけど、量がきつい。食べられなくなってきたのだ。認めたくないけど、これも歳ってやつだ。若い会社の部下(僕より細い)と、たまに行って、バカみたいに盛られたモヤシ山のラーメンを、麺半分で注文した僕より早く食べる。おかしい。昔は、あれと同じことをしていたはずだ。でも、なんであんなバカみたいな量の、濃い味のラーメンを毎日のように喜んで食べてたんだろう。

 もうひとつ、卓上に置いてある「酢」。あれがすごい嫌いだった。七味唐辛子も、胡椒も、白ゴマもわかる。だが酢よ、てめーはダメだ。液体調味料のスープ汚染度の高さは、味を全部かえてしまって取り返しがつかなくなる。あと、そもそも酸味が好きじゃなかったってのがある。もともと男は酸味への耐性が、女より低いらしいとも以前、聞いたことがある。なるほど、それはあるかもしれない。そうであってほしい。

 

 そうえば30手前の頃、一番よく遊んでいた後輩は、男なのにラーメンに必ず酢をかけていた。ありえない、と僕が言うと、彼は、つけ麺のような水でシメられた麺を食べると、お腹を壊すんです、と言っては、ラーメンか、妥協して油そばを選んで、酢をかけていた。そんな彼のことを色々なやつがいるな、と僕は体のいい言葉で理解を諦めていた。
 
 そんな歳の変遷を肌で(内臓で)感じるようになってきた、ある日の深夜、家系ラーメンを食べながら、苦手な酢をかけてみることにした。連日のお酒続きもあって胃が荒れていたことも影響していたのかもしれないが、端的に言えば、きまぐれだったんだろう。

 きっちりレンゲー杯分。

 割り箸で、ささっとかき回して、麺となじませてから一口。

 

(あれ……うまい……)

 

  数年後の覚醒。 

 あのとき、きついと感じていた「酢のアタック」は「ちょうど良く味を柔らかくしてくれる調味料」へと僕のなかで評価は変わった。おかげで深夜の家系ラーメンをおいしく過ごすことができた。ありがとう、酢よ。きみのおかげだ。そんなわけで僕は、アラフォーおじさんになってから、酢と和解の道を歩むことができた。

 

 えっと、、、それで、なにが言いたいかっていうと。
 自分が「おいしい」という感覚って変わっていくんだなっていうことが、なんか「嬉しかったんだよな」っていうこと。

 子どもの頃、食べられなかったものが大人になってから食べられるようになるやつってあるじゃない? たとえばウニとか。

 あれって別にウニ自体が変わってるわけじゃなくて、いろいろ苦い食べ物とか通過したうえで、舌の経験値の上昇によって「これはうまいものだ!」って認められる食べ物だと思うんですよ。たぶんトリュフとか、たいていの高級食材も、そういうもんだと思うんだけど。

 そういうんじゃなくて。

 生きていくうえで、昔だったら濃い味とか、量の多いラーメンを「うまい!」つて思ってたのは、自分の若さとか強い胃腸がそれを求めていたからで、おじさんになって、酢をいれたり、やわらかい味のものを、自分にちょうどいい量のものを求めるようになって、今の身体が求めるようになるものを人間は「おいしい」って感じるようにできてるんだな、人間の身体って良く出来てるなってことがわかって、それが妙に嬉しかったんですよね。

 

 ラーメンは変わらないかもしれないけど、なにが「おいしい」が変わっていく自分がいるから、まだ楽しめそうだなって。

 

 人はそれを「老化」っていうかもしれないけど。

 

 案外そういう変わっていく自分を面白がっていけるのなら、それも悪くないんじゃないかなって思ったんです。